前回は幼少期のお話をしました。今回は青年期くらいのお話になり、フルートが登場します。
この記事を書くにあたって、母になぜ私がフルートを始めたのか聞いたら、私の思っていたものと異なりました。
結構幼いときは思っていることや考えていることを内に秘めておくタイプだったので、相違があったのか、私が勝手に思い込んでいるのかはもはやわかりません笑
母が言うには“父が促した”そうです。前回の記事で少しお話ししたように、小学生の頃の私はなかなかにソプラノリコーダーが達者でした(自分で言っちゃう笑)。そんな私を見て、フルートやってみない?というように促して体験レッスンに連れて行ったそうです。
体験レッスンで“ソ・ラ・シ”の3音で《メリーさんのひつじ》が吹けたときの顔はそれはもう輝いていたそうです(私も嬉しかったことを覚えています)。
私の記憶では、フルートへの憧れは、毎年小学校の運動会のお昼休みの時間に演奏しにきていた、お隣の中学校の吹奏楽部の演奏がきっかけでした。私は上鶴間小学校に通っていたのですが、道路を挟んですぐ隣に上鶴間中学校がありました。
じきに上鶴間中学校に進学するのですが、毎年演奏に来てくれるお姉さんたちは凄くかっこよくみえたものです。めちゃくちゃ余談ですが、上鶴間中学校の大先輩に原辰徳監督がいます⚾️。
中学に入学する前から、「吹奏楽部に入って出来ればフルートがやりたいな」と考えていました。
そんなふうに考えていたとき、とある不穏な噂を耳にします…
そして私は思います。「流石に楽器持っていて習っていたらフルートパートになれるだろう!」
少し打算的にフルートを習い始めた、それが私の記憶です笑。
もしかしたら、親に促されてフルートには興味を持ったけど、吹奏楽部で出来るし習うまではいいかな?と思っていたところに不穏な噂を聞いて、習うのを決意したという、どっちも真実パターンもあるかもしれません。
ちなみに、そんな不穏な噂ですが、私が中学へ入学したと同時に音楽の先生が移動になり、顧問が変わったので杞憂に終わったのでした。ちゃんと楽器体験期間を設けて、希望を聞いて、適性をみてくれる先生になりました。
その先生はその後他の中学校で校長先生を務めた後、現在はまた教員として現場でお勤めされているようで、パッションと手腕のある良い先生の元で部活動が出来て幸せだったと思います。